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初めまして。ラッシーと申します。当ブログにお越しいただきありがとうございます。

このブログ『地球で、遊ぶ。』は、その名の通り、「地球」という大きなフィールドで遊ぶというコンセプトのもと、何かに挑戦したい、一歩を踏み出したいみなさんを応援するサイトです。

早朝のゲレンデ。出発が遅れて御来光には間に合いませんでした。

と言うと、なんか偉そうですが、私は今でもいろんな新しいことに挑戦しながら試行錯誤の中で経験やノウハウを積み重ねています。

みんな誰でも最初は初心者です。私も最初の頃はいろんな失敗をしました。本を読んだり、時にはお金を払って教えてもらったりもしましたが、ほぼ独学でちょっとずつ遊びのフィールドを広げていきました。

ですから、失敗したり上手くいったことでみなさんの役に立ちそうなものを、少しでも共有できればと思ってこのサイトを作っています。

もちろん、技術や知識はプロ級とはいきませんし、逆に教えてもらうコトもたくさんあるかもしれません。ただ、初心者さんの気持ちに寄り添うという点では、1番と言っていいほどみなさんと近いところにいるんじゃないかと思っています。

2023年5月に植えた、サツマイモの苗(紅あずま)。生長点は出して土に埋めます。

私が、「遊んで」いる主なフィールドは、自転車はロードレース、山は冬山、バックカントリー・スキーです。日常生活では、畑を耕したり鶏を育ててみたり、と、ちょっとニッチな分野かもしれませんね。

ただ、「ロードレースに出てみたい!」とか、「一度は憧れの冬山に登ってみたい!」と思っているみなさんが、このブログを読むことではじめの一歩を踏み出すことができれば、背中を押すきっかけになればと願っております。

思い立ったが吉日

みなさんが何かをしたい、と思った瞬間からそれは実現しているのです。

インターネットには情報が溢れ、AIは進化しています。玉石混交の中から真実を見つけることはほとんど不可能に近いかもしれません。そして、このブログも、そうした大海に彷徨う一泡となって消えていくでしょう。しかし、私たちがフィールドで得た知識や経験・知恵は決して消えて無くなることはありません。

このサイトで目指すことは、みなさんにフィールドに出てもらうことであり、フィールドでしか味わえない美しさや厳しさを自分の肌で感じてもらうことです。

2019年12月29日 宮城県刈田岳山頂直下

無責任な話ですが、背中は押しっぱなしです。フィールドに出た先は、自分でその目的地に辿り着かなくてはいけません。

地球というこの星に生まれ育った奇跡に感謝して、ぜひこの素晴らしいフィールドで今日も遊んでください。

そして、いつでもここに戻ってきてください。お待ちしています。

宮城県刈田岳避難小屋。 中は、ほぼホテル。

あらためまして。当ブログ『地球で、遊ぶログ。』を運営している、ラッシーと申します。

出生は、母の実家 沖縄ですが、育ちは宮城県南部にある人口3万人の町、亘理町というところです。高校までは宮城県にいましたが、大学から沖縄へいきました。その後、紆余曲折を経て現在は実家の近くに家を建て、家族5人で暮らしています。3児のパパです。

基本的には、平日のフルタイムワーカーとして仙台市内へ電車で通っています。子どもがまだ小さいので、休みの日でも昼間に1人で遊ぶわけにはいきません。

ですので、家族がまだ寝ている夜明け前からせいぜい9時くらいまでがタイムリミット。それでも十分、けっこう好き勝手遊んでます。

自転車選手時代(大学~実業団~コンチネンタルチーム)

きっかけは大学で入ったサイクリング部でした。中学高校までは野球一辺倒でしたが、何を思ったか学部の先輩に誘われて入部。大学の長期休みにはキャンプをしながら自転車旅行をするのですが、基本は「遊び部」でした。亜熱帯の開放的な沖縄で、一晩中遊びながら大学に通う日々でした。

そんな大学生活でしたが、ここで運命の出会いがありました。自転車ロードレースです。そう、ツールド沖縄です。今では、ワン・デイ・レースの最高峰、市民レースの甲子園とまでその地位を確立したツールド沖縄。そんな場所で自転車を始めただけあって、ロードレースに出場するというのは自然な流れだったのかもしれません。

大学に入って最初に買った自転車は、荷物をつけて走る旅行用の自転車でこそありましたが、レースにも出られるロードレーサーでした。今では考えられないかもしれませんが、フロント・ギアの歯数が46Tでトリプル・ギアでした。人生で初めて出場したロードレースが、ツールド沖縄の市民レース50kmの部。無我夢中でペダルを漕ぎ、4位入賞。それがすべての始まりでした。

その後の大学生活では、ロードレースを中心にフルマラソンやトライアスロン、ウルトラマラソンまで、持久系の大会に出続けました。大学での専攻は英語教育、つまり英語の教員を目指していましたが、卒業を迎える頃には何を思ったか、プロのロードレーサーを目指していました。

とは言っても、何をしていいかもわからず、沖縄でただひたすら乗り込む日々。そんなところに、沖縄選抜選手としてツールド台湾に出場できるという話が舞い込んできて・・・。

続く…【随時更新中】